
弥助について
history

弥助の歴史

つるべ寿司

歌舞伎との関わり
八百年の時を継ぐ、鮎の香りと釣瓶の音
弥助の歴史
吉野川のせせらぎに耳を澄ませば、遥か八百年の昔、平維盛がこの地に姿を隠したという伝えが、今なお静かに息づいています。壇ノ浦の戦に破れ、都を落ちのびた彼は、家臣・宅田弥左衛門の元に身を寄せました。やがて弥左衛門の家は、密かに寿司を仕込み、鮎を釣瓶桶に詰め、山里の恵みとともに主君をもてなしました。
それが、“つるべすし 弥助”の始まり。
代々「弥助」の名を継ぎ、釣瓶に鮎を詰める手業も、寿司に込める心も、代替わりするたびに磨かれていきました。百年、また百年。季節は巡り、桶の中の鮎が熟れていくように、弥助の味もまた時を重ねて深まります。

つるべすし
店名の「つるべすし」は、鮎と飯を釣瓶形の桶に詰めて発酵させる「釣瓶鮨」に由来します。この製法は現在では行われていませんが、鮎を使った押し寿司や懐石料理が提供されており、特に6月の若鮎の時期には、鮎の姿鮨が人気です。
懐石に添える一貫、竹皮に包まれた押し寿司、器にあしらわれた庭の草花。すべてが、過ぎ去った時を慈しみ、今を味わうためにあります。
訪れるあなたが、ふとその味に、あるいは空間の静けさに、遠い物語を感じていただけたなら。それこそが、弥助の願いなのです。

歌舞伎との関わり
“つるべすし 弥助”は、歌舞伎や人形浄瑠璃の名作『義経千本桜』の三段目「すし屋の段」の舞台としても知られています。劇中に登場する「釣瓶鮨屋弥左衛門」は、弥助の祖先である宅田弥左衛門がモデルとされ、物語の中心人物「いがみの権太」も同家の先祖とされています。
舞台の幕が上がれば、そこには弥助の魂が生きている。
物語の中で鮨が握られ、人々の情が交錯するそのひととき、まるでこの下市の小さな寿司屋の記憶が、芝居を通して時代を渡っていくかのようです。
